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前衛的な造形美を誇る
沖縄コンベンションセンター

いつもより遅い梅雨の訪れとなった沖縄県。今から70年前の6月23日に非常に多くの民間人を巻き込んだ沖縄戦が終結しました。海の香が微かに残る6月の空気は湿気を含み、呼吸の度に特別な重みが肺に伝わってきます。

2015年6月2日――『終戦70周年記念・沖縄平和芸術選抜展』の会場の奥には沖縄の海が広がっています。その海を背景に会場内に額装展示された130点の額装のアートポスターたち。そのアートポスターには、日本全国で、ご活躍されている芸術家の先生方の“平和への願い”が籠っています。書道、絵画、工芸、陶芸、写真、詩歌、フラワー、ジュエリー、人形など、あらゆる芸術ジャンルで表現された“平和への願い”が会場内に満ち溢れていました。

沖縄伝統の赤瓦が美しい
沖縄県平和祈念資料館の正面入り口

地元の新聞に掲載された展覧会の告知記事を読んで最初にお越しいただいた、ご年配の男性が、展示された額装アートポスターを一点、一点、丁寧に鑑賞し、「今から70年前は沖縄戦が終結する直前の一番苦しい時期でした…」と目を細めて、今まで閉じ込めていた遠い過去の体験を話してくれました。沖縄戦について対馬丸の悲劇や島田元沖縄県知事のお話しや、そして、展覧会の前日≪6月1日≫に弊社代表志知正通とスタッフが訪れた沖縄県南部に位置する摩文仁の丘の話や、平和祈念公園にある平和の礎について話してくれました。

平和の願いが込められたアートポスターを眺めるにわかに青い瞳にはうっすらと涙が浮かび、70年前に美しい沖縄で起こった形容しがたい悲しみが刻まれていました。

沖縄県平和祈念資料館
展望台より平和の礎全景

展覧会前日≪6月1日≫
「平和祈念公園にある摩文仁の丘の崖は珊瑚が石化して出来た絶壁です。この慰霊碑はその石化した珊瑚で出来ています」と平和祈念公園を電気自動車で案内してくれる職員の方。

平和の礎には、戦いによって命を落とした県民や旧日本軍軍人やアメリカ合衆国軍人の名前が石に刻まれており、そして慰霊の日6月23日の朝日は、平和の灯火の直線上に昇るように設計されているそうです。「この国立沖縄戦没者墓苑には18万人もの方が静に眠っています。毎年のように、天皇皇后両陛下も供花されるためにお越しになられるのですよ」と、職員の方の見つめる先には沖縄の伝統的なオレンジ色の瓦葺の献花台が静に佇んでいました。

――「謹んで哀悼の意を表します。日本全国の芸術家の皆様のお気持ちとアートポスターを展示させていただきます。この展覧会が平和の一助となりますように、見守っていてください」

国立沖縄戦没者墓苑での献花と恒久平和の祈り

ご出展された先生方を代表し、弊社代表志知正通と本企画のプロジェクトリーダーを務めた鈴木耕平が、献花をして戦没者の皆様のご冥福と共に、終戦70周年記念沖縄平和芸術選抜展開催のご報告と成功祈願をいたしました。

この平和祈念公園には、戦争体験を風化させることなく、その教訓を後世に正しく継承していく場として建設された、沖縄県平和祈念資料館があります。資料館では、沖縄県内すべての小学校から高校に至るまでの学生全員に呼びかけ、毎年6月に『児童・生徒の平和メッセージ展』を開催し、絵画、詩、作文などの作品制作を通じ、平和について、又は家族や親せきや周りのご年配者から聞いて感じた沖縄戦の記憶について考える教育を行っています。特に今回は、終戦70周年の大きな記念年ということも相まって、いつも以上に気持ちの込められた作品が集まっているそうです。

左より:沖縄県平和祈念資料館学芸員の方と
弊社代表志知正道によるアートポスターの寄贈

「“平和への想い”が込められた、日本全国でご活躍されている芸術家の皆様のアートポスターを寄贈していただいたのは、とても嬉しいです」と学芸員の皆様。「日本全国でご活躍されている芸術家の皆様の心が籠ったアートポスターが、平和な時代を創造する一助となることを祈っています」と志知正通は、学芸員の皆様の手によって、一点、一点、額に納められ、平和教育の資料として登録されたアートポスターをいつまでも見守っていました。

展覧会初日≪6月2日≫
美しい沖縄の自然を縮図したかのように整えられた植物の植え込みに囲まれ、穏やかな波を象った造形美の屋根が葺かれたアーティスティックな建物――沖縄コンベンションセンターから鑑賞者の皆様の声が聞こえてきます。「例え、時代が流れたとしても、沖縄戦での悲劇を忘れてはいけません。私は、幼い頃から祖父や祖母から戦争の話や平和の尊さを聞いていましたので、こうして終戦70周年を迎えて、改めて思うことがたくさんありますね」と真剣な眼差しで、額装アートポスターを鑑賞する男子大学生。

その隣で、「この作文は、私の友人のお子さんの作品なんですよ。こんな立派な芸術家の方々とご一緒に展示されるなんて、素敵ですね」と微笑み、特別展示されている、昨年度開催の『児童・生徒の平和メッセージ展』で優秀賞を受賞した15点の内の1点を指さすご婦人。「この展覧会の舞台は、沖縄コンベンションセンターという沖縄県内最大級の複合施設で、大規模な国際会議や学会、展示会などに使用され、沖縄県民の皆様の交流の場所なんですよね。そこで、このような“平和への願い”が込められたアートポスター展が行われるというのを新聞の朝刊で目にいたしまして……」と、はきはきと話される奥様。

――「めんそーれ!」

沖縄の気風に負けない声を張り上げるスタッフと実行委員のマルティ―ナ・ディエゴ先生。その服装は、沖縄県の正装でもある“かりゆし”――それは、見た目以上に気心地がよく、その爽快感は沖縄の皆様の心のようでした。

会場レイアウトは、スタッフの拘りを取り入れ、多くの図案の中から、全国の大人達の作品で子ども達の作品を囲い、大きな翼で我が子を抱いているように配置する案が採用されました。このレイアウトは県の学芸員など専門家の間でも好評でした。

――「内地の作品をこんなにもたくさん観られるのは、嬉しいさぁ」

展覧会初日が終わる頃、会場内から、こんな声が聞こえてきました。
「こうして、孫と一緒に展覧会に来ることができるのは、幸せの一つの形ですね」そこには、深い皺が刻まれた手で、お孫様の手を引くご年配の女性が立っていました。沖縄県には、古くから方言で『命(ぬち)どう宝』という言葉があり、生命は何より大切なもの、命こそが尊い一番大事な宝であるという意味だそうです。夕陽に照らされた女性から、そのようなお話を伺いながら、愛でるようにお孫様の小さな手を両手で撫でる姿――それは、悲しみの溝を覆うような幸せが刻まれているかのようでした。

展覧会最終日≪6月3日≫
ある一人の少女の素朴な疑問が弊社スタッフたちに向けられました。

「どうして、こんなにも平和を願って下さる芸術家の方が日本全国にいらっしゃるのに沖縄県に基地が必要なの?」

あどけない瞳に額装アートポスターを映した少女の背後から、「毎日のように頭上を飛び交うジェット機を見る度に基地問題について考えさせられます。でも、この会場で、素敵な芸術作品のアートポスターを鑑賞していると、心が晴れますね」と、主婦の女性。

「ふだん、県外の芸術家の作品を鑑賞する機会は少なく、対象の捉え方の違いや、雪景色、沖縄には生息しない動植物など、テーマの違いが感受性を掻き立てられますね」と、満面の笑みを浮かべる琉球舞踊の先生。

会場から、たくさんの喜びの声が寄せられる中、弊社スタッフたちは、沖縄県の基地問題など、改めて戦争がもたらした、さまざまな問題について痛感させられました。

2日目の日没が近づいた頃、志知正通は芳名帳を手に展覧会にご来場いただいた人々のことを一人ずつ思い出しました。2日間の会期中にお越しいただいた数えきれないご来場者様――子どもたちを始め、地元の芸術家の方、ご出展いただいた芸術家の先生の生徒様やご親族の方、沖縄県の学芸員の方や教育関係の方々、沖縄コンベンションセンターの館長様、新聞記者の方、児童養護施設のご関係者の方々の顔や声がいつまでも胸に響き渡りました。

イベントの様子は地元の新聞に掲載されました(クリックにて拡大)

この閉会した誰も居ない会場で、弊社代表志知正通とスタッフ一同は、燦然と輝く130点の額装アートポスターに向かって、深く一礼しました。この会場で額装のアートポスターを中心にご来場者の皆様が語られた想いを反芻し、この展覧会について考えました。

『芸術は悲劇で傷ついた心を癒やし、未来の平和に希望の光を与える至高の伝導体である…』

気が付くと梅雨時期の深い鉛色だった海が、柔らかい夕陽に照らされてキラキラと輝く本来の沖縄の海に姿を変えていました。

文/鈴木 耕平
撮影/遠山 高広