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広漠たる異郷の地・モンゴルを照らす陽光の先――。
そこには、言葉では表現できぬほどの神々しき光景が広がっていました。

毎年7月11日より開かれる夏の祭典“ナーダム祭”も今年は例年以上に沸き、暦の上ではすでに秋を迎えている8月のモンゴルの風に身を委ねる私達。
“モンゴル建国800年”にあたる2006年の現地は、大草原と遊牧民のイメージを払拭するかのように首都・ウランバートルを中心に数多くのカラフルな建物が林立しており、街行く人々もどこかしら喜びの表情に満ちています。

そして、モンゴル国民の喜びをやさしく見守るように至るところで目があう英雄・チンギス・ハーンの肖像たち――その視線の向こうには、新たなる未来が映っているかのよう。

 

「選び抜かれた日本芸術のアートラベル展が大々的にパリで行われる」

との告知がされており、皆それを聞きつけてご来場されたのです。

それは、8月9日。展覧会2日前のこと――モンゴルの国営放送で大々的に芸術による蒙日の友好を目的とした『和の宝珠展~悠遠の彼方に輝く日本芸術~』の詳細が告知されたのです。

当初、モンゴル国際大学で行われる予定だった会場がモンゴル側の申し入れにより、「歴史に名を馳せるよ うな日本のアーティストの方々に敬意を表し、蒙日友好の証である作品をもっと老若男女の国民に観覧してもらいたい」とのことで、モンゴル国立美術館へと急 遽、変更。その放送はCMとして瞬く間に国中に流れ、あっという間に展覧会の前日、8月10日の夜になりました。

そこで、さらなるビッグサプライズの到来。なんと、小社・M.Y.Y.コミュニケーションズのツアーで 芸術家の先生方がご宿泊された“チンギス・ハーンホテル”に当時の内閣総理大臣であった小泉純一郎氏もご宿泊されており、日本の国旗を掲げながら、“和の 宝珠美術館の開館”を祝した記念うちわをお渡しし、アピールすることができたのです。

 

「和の宝珠美術館。いいネーミングだね。誰が命名したの? とにかく日本のアーティストの方々には、これからもぜひ、頑張っていただきたいね」

たくさんのSPに囲まれながらも、にこやかにうちわを扇がれて、その場を去られた小泉元首相。

その日はまさに展覧会の幕開けにふさわしい前夜となり、8月11日――いよいよ展覧会の当日を迎えました。

開場前よりテレビ放送を見て集まられた人々が押し寄せ、想像を遙かに凌ぐ活気と歓声に包まれており、入り口では『和の宝珠展~悠遠の彼方に輝く日本芸術~』と記されたバナーが風ではためきながら、その雄大さを語っているかのようでした。

 

日本が誇るありとあらゆるジャンル――絵画・書道・工芸・陶芸・詩歌・写真・フラワーアートetc……。会場の受付 で配布した『和の宝珠美術館』の開館を祝した限定200枚のうちわを扇ぎながらみつめる人々の目に映る選ばれし、日本芸術の数々。その傍らで一点、一点、 丁寧にその作品たちをご来場された方々に評論を交えながら解説される蒙日芸術文化交流会・日本側最高責任者である長谷川栄先生。

モンゴル語と日本語、ときには韓国語やロシア語が会場で入り混じりながら、最後は人々の顔に微笑みが生まれ、そこに言語の壁など存在しませんでした。

「私も色んな展覧会や書籍の監修などを務めきましたけどね、一度にさまざまな国の方々が喜ばれた顔を見るのは、初めてですね。やはり日本芸術の極みがこの場に集結されて私も感無量です」

と、コメントをご頂戴し、さらに長谷川先生にはモンゴルの国営放送の取材にも応じていただきました。そ こでも、やはり胸を張って日本芸術の素晴らしさを熱弁いただき、取材の終了後も時間のある限り、ご出展いただいた芸術家の先生方の想いをご来場者の方々に 伝えられ、M.Y.Y.のツアー一行は、その作品たちを永久収蔵する“和の宝珠美術館”へと赴きました。

ジャパニーズ・タウンの入り口に位置するモンゴル国際大学の敷地内。周りはモンゴルの近代化に伴って、時代を先駆けするような博物館やホテルなどを建設している風景があちらこちらに見受けられます。

「当初は地上2階、ボイラー室の地下を含め、計3階の予定でしたが、当校の生徒たちが“日本芸術家の先生方の作品を通して、日本の精神論から学びたい”という意見が多数持ち上がりまして――」

と、現場の視察を兼ねておみえになられていた蒙日芸術文化交流会の一員であられる梁柱伯氏(モンゴル国際大学委員長)の話をお聞きしながら

「その結果、何度も蒙日芸術文化交流会内で会議を行いましてね、日本の長い美術業界でも今まで例のない話でしたから、結局、彼らの思い入れを受諾したんですよ。ほら、どこからか聞こえるでしょ? 日本芸術に触れて喜ぶ生徒たちの声が……」

と、長谷川先生が土台の完成した“和の宝珠美術館”をみつめながら仰られました。きっと、完成された時のことを想像されていたのでしょう。宙で開いた玖珠球を長谷川先生は、ずっと見据えておられましたから……。

 

その夜、レセプションパーティは、モンゴルで名高いチンギス・ハーンホテルの催事場で盛大に行われました。

モンゴルの国旗を中央にして、日本と韓国の国旗が飾られ、席には次々と来賓の方々が着席されていきます。

モンゴル国代表・ツァヒャーギーン・エルベグドルジ(元)総理代理ザグド・ジャブデレグ氏、鄭三址氏 (モンゴル国際大学理事長)、先程、和の宝珠美術館の視察に訪れられていた梁柱伯氏(モンゴル国際大学委員長)、お忍びでご来場されたモンゴル国初代・大 統領の孫娘であるソロンゴ氏ご夫妻――。

やがて、場内の照明がステージに集い、小社・代表の志知正通によるスピーチが始まりました。日本語、モンゴル語、韓国語の三カ国語の言葉が順に巡ってゆき、それにあわせて皆様が微笑んだり、頷いたりしています。

この日、残念ながら公務の関係でご出席が叶わなかったエルベグドルジ元首相でしたが、代理の方より“和の宝珠”に喩えられた日本芸術による蒙日の友好の歩みと和の宝珠美術館に対しての想いを述べていただきました。

 

その後、日本側代表として長谷川栄先生、鄭三址氏からもお祝いの言葉をいただき、壇上で一点、一点、永久収蔵証明証に長谷川栄先生とエルベグドルジ元首相の代理の方にサインをしていただき、歓談と会食へと入ってゆきました。

その席でも、長谷川栄先生は蒙日芸術文化交流会の国際メンバーの方々に“和の宝珠展”にご出展いただいた日本芸術家の方々のお話をされ、それをお聞きになられた方々も

「この度、導かれし日本芸術の創造主ともいえる方々は、“和の宝珠展”のサブタイトルにもあるように、まさしく悠遠の彼方に輝く方々である」

と皆様がご納得されておられたようです。

こうして、8月11日から12日までの間、和の宝珠展は催され、たくさんの方々の笑顔に包まれながら、モンゴルの歴史に――そして、国民の方々の心に“和の宝珠”という名の日本芸術を広めたのでした……。

それは、日本で夏の終わりを告げるヒグラシが鳴く前のこと――現地・ウランバートルでは、モンゴル特有の口笛、ホーミーのパストラルな旋律が一足早い秋の訪れを物語っていました。

文/V.ゆねりあ

撮影/遠山高広